樟の森の研究室

斐伊川が久野川や三刀屋川と合流する地点、木次線がことことと走る線路のすぐそばに住まいし、ここで生きる術と学びを記していきます。

スペルト小麦と夏野菜のマリネ

カフェ・オリゼの裏にある「オリゼ畑」で育てているスペルト小麦。
夏野菜のマリネとしてランチにお出ししています。
玄麦。
スペルト小麦は、古来つくりつづけている地域では粒で食することが多いという論説をみたことがあります。そうでなくても、粒でとれるのなら粒でとったほうが歩留まりはいいものです。粒食・粉食の違いと変遷についてはもろもろあるものの、いま、ここでは技術的にも経済的にも粉にはできないので、選択の余地なく粒食なわけです。
なにより大事なことは、これ、うまいということ。くせになりそうです。
来年は作付けをふやそうかと思います。土地はないのですけれど。なので畑以外でどう育てるか、それをいろいろ模索しています。

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令和2年7月下旬の山墾り

梅雨のあいまにひとしごと。
◉夏に花を咲かせる樹々をたしかめる〜7月22日
 あれ、こんなところにもと。現在、頭のなかに入れ込むだけですが、子供向けの体験が本格化したら、マッピングしていきたいです。ネムノキ、カラスザンショウが、いまの時期、あちこちに。陽樹、先駆種ですが、アラして若い山なので、多く見られます。道隔てて古い山になると、がくんと減るところもおもしろくわかりやすいです。
下のはリョウブでしょうか。藪に隔てられ近くにまで寄れず、次回あらためてたしかめます。f:id:omojiro:20200725111446j:plain
茗荷畑をたしかめる〜7月22日
 竹藪を伐開した山は、土中の水の流れもかわり、周辺の植生も大きく変わっていきます。高木が竹にまじって残っていた場合、たくさんの実生が春から背をのばしはじめます。小さな小人が森から出てくる感じ。
 そんななかで、今年めだったのは、ミョウガがどどんと出現したこと。もともとあったのでしょうが、なぜ目に入らなかったのか不思議。多少間引いたほうがよいのでしょうが、まずはこのまま。
◉ことしの焼畑アマランサス〜7月22日
 6月23日に火入れして、翌日にヒエとまぜて播種。ヒエもわずかですが、この中にまじっています。6月下旬播種は発芽も早く、梅雨に入っていれば初期成長も早いので、秋の長雨や台風にぶつからなければ理想的ではあります。以下、予定(予想)と基本情報。
6月24日播種…播種量不明。0.5aほどに20gほどはまいたでしょうか。通常の畑地栽培の場合、10aあたり20〜24gが適量のようです。発芽適温27℃〜29℃。要地温17℃以上。
7月中旬〜下旬に間引き…すればよかったのでしょうがほぼやってませんで、8月1日にやりました。
8月4日〜10日…柵づくり(牛侵入防止)
8月20日開花…発芽から50〜60日後に開花する。
9月30日〜熟期…開花から40〜50日で収穫。
10月10日までには収穫といったところ。秋雨にぶつかりそうなので、実の入り方などをみながら、順次収穫とみておきましょう。
収量は通常の畑地栽培の場合で、200kg/10aというのが基準のようだ。5kgとれれば上出来かと思う。f:id:omojiro:20200722153747j:plainAmaranthus cruentus
◉畑の草刈り〜7月25日f:id:omojiro:20200725120921j:plain草刈りはそのときどきで、少しずつやっています。

野老を見つけた日に

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 おそらく鬼野老だと思う。一昨日やっと見つけた。探しているときには見つからず、忘れた頃に、こんなところにあったのかと驚くのはいつものこと。そして、7月下旬の今頃が目立つということでもあろう。花をつけるのもこれからだ。トコロを食べる会として、蔓延って困っているというところからは根こそぎ持ち去りますので、ご一報ください。
 令和2年現在、ウェブで散見するに、数年前の記事では青森、山形では、道の駅でも売られているとか。山陰ではまず見ないし、聞くこともない。山陰での地方名については不明。出雲国産物帳にもそれらしい記載はない。
 トコロと名のつくものはいくつかある。
・アマドコロ(甘野老)
・ヤマアマドコロ(山甘野老)
・ウチワドコロ(団扇野老)
・カエデドコロ(楓野老)
・キクバドコロ(菊葉野老)
・ヒメドコロ(姫野老)
・タチドコロ(立野老)
 が、通常、トコロといえば、オニドコロ(鬼野老)、すなわちヤマノイモ科のDioscorea tokoro Makinoをさす。いつのころからなのか。仮に江戸時代中期以降と見立て、その嚆矢を元禄時代とみてみよう。『本朝食艦』を著した人見必大とて、トコロという呼称の由来については不詳としている。漢名は山萆薢、生薬名は「萆薢(ヒカイ)」というのは誤用のようだが、よくあることで、気をつけたい。また、必大は野老の栽培も多いということにふれ、栽培したものの毒性についてふれている。言及こそないものの、山野の自生したものが用いやすいということか。さらに、栽培は食用ではなく、生薬にするためのものであったであろうと。さらに進めて、元禄の頃よりトコロを日常に食することが減っていったのだろうと、今は見ておこう。元禄の『本朝食艦』から五十年ほど時代をくだって弘化の『重訂本草綱目啓蒙』になると「味ニガク食フベカラズ」と記され、干して春盤の具(正月の供物)とすることや奥州、阿州では上巳の節句に用いるのだ等、文字の知識と儀礼に残るだけのものとなっていく。
 僅かな文を手がかりに、時代を室町、鎌倉、平安にまで遡れば、いま少し違う風景も見えてくるようで、そうしたことからの臆見に過ぎないが、トコロを食べてみようという向きにはそれでも有用なのだ。
 蛇足ながらの付言をふたつ。
 日常の食とはいっても、嗜好食である(あった)ことは、野本寛一が『栃と餅』2005,岩波書店で記していることからも推し量れる。野本氏が口にしたその食味とあわせて平成15年3月2日に新潟県岩船郡山北町山熊田での出来事をその書からひいておこう。

《こうして仲間が集って手仕事をする時や、家族がイロリやストーブの回りに集まって団欒する時、煮あげて笊に盛ってあるトコロの皮を小刀や果物ナイフでむいて楽しみながら食べるのだという。ーーキヨ子さん(大正12年生まれ)は包丁で手際よく皮をむき、食べてみろと勧めてくれた。
 色は薄い飴色に鬱金色を混ぜたような色である。口もとへ運んだ瞬間、微かな芳香が鼻孔を刺激した。口に入れて噛む。ねっちりとした歯応えがあってホロ苦い。苦いけれども口が涼しい。歯応え、舌ざわりは山芋を輪切りにして煮たものに近いがそれよりも弾力性がある。爽やかな香気がある。苦いが抵抗感は湧いてこない。》

 山北町村上市)は山形県鶴岡市と接し、むしろ山形であると、町の方から聞いたことがある。山北町焼畑でつくられる赤カブは鶴岡市温海の温海カブと名称こそ違え、ものは同じであるようだ。そうしたこともこの話の糸のひとつ。食べてみるといえば、島根県内で毎年、口にしているところもある。美保神社の青柴垣神事。供物の中でも野老は重要なもので、當屋が供物であるトコロいもを海中で洗う「野老洗い」は欠かせない儀礼となっている。今現在どう調理されているか、野老はどこから取ってくるのか等、確かめるべきことも多い。山形地方から贖っているということを論文で見た記憶があるがすぐに取り出せないので勘違いかもしれない。この糸は、山陰は元来白カブを地カブとする地域なのだが、津田蕪をはじめ、米子蕪、飯島蕪と赤カブが沿岸地域に存在する(してきた)。その北の縁と、里芋・生姜・茗荷とつながる南の縁をつなげることに、意味はある。

 もうひとつは、舞狂言の「野老」である。
 幽霊となってさまよう鬼野老の霊を僧が供養するのだが、野老の精が延々とその身の上を語るところが主話となる。
 能楽研究所が蔵しウェブ公開されている「天正狂言本」からその冒頭をひく。画像に朱で示したところ。

f:id:omojiro:20200719131555j:plain《そもそも山深きところを
鋤鍬にて掘り起こされて、
三途の川にて振り濯がれて、
地獄の釜に投げ入れられて、
くらくらと煮ゆらかしていませるところを
慈悲深き釈尊(杓子) に救い(掬い)あげられ……》

 続きも笑いをこらえるところなのだろうが、目をこらすべきは「山深きところ」。野老は山深いところだけにあるわけではない。これは舞狂言がそうであるように、この夢幻のなかで野老を食していたのも、それを供養しているのも、当時のいわゆる農民や僧ではなく網野善彦いうところの「道々のもの」であることを示している。漂泊するもの、だれにもどこにも属することなく、諸芸職工を懐に道の上に生を全うし歴史から消えていったもの。そうしたものの霊こそが慰められている。
 野老は道々のものが、楽味とし、滋養としたのだろう。合歓木の花咲く夏の日、鮮やかに静かに葉を茂らせるその姿に夢想した。
 さて、どこまでか、たどれるところまでそれを追い、食べてみよう、というのが、トコロを食べる会の趣意である。



 

木次線の終電に想う

飲んで終電で帰るなんて何年ぶりだろう。しかもこれが人生最後、かもしれないなと思い記念に撮影。f:id:omojiro:20200712201649j:plain あと30分ばかりは残っていたビアガーデンの宴席を辞し、急ぎ足で橋を渡り、歩道を横切って無人の駅の改札を抜ける。ちょうど一両編成のディーゼル車がホームに入ってきた。ドアが開き、整理券を抜き取って席につく。ほかの乗客はいない。その木次線出雲三成駅から終着である木次駅まで所要35分。

乗車してから、人が乗り込むことも降りることもなく、窓の外は深い闇。意識はさえてきて酔いが遠のいていく。下久野から日登の区間は時折、窓ガラスに木の枝がこすれていく「ざざーっ」という音が、現実の安心感すら与えてくれる。20時50分、終着であった駅につくと、車掌が運転席から出てきた。あぁ人はいたのだ。運賃をその場で渡して、ホームに出ると、そこにも駅にも人影はない。駅前には一台のタクシーのなかで運転手がなにやら見ている姿が見えたが、ほかに人の姿はない。下りの最終便を待っているのだろうか。そこから歩いて家に帰ってきたのだった。

 さて、闇の中を通り抜けた帰路と違って行路は夕刻であり、車両も2両編成で、数名の乗客があった。そして車窓からはいつもと違う風景がのぞめて新鮮であった。気づいたことなどいくつか記しておきたい。

 下久野に2軒ほどかぶせものをしていない「生の」茅葺き民家が見えた。驚いた。どちらもよい状態には見えなかったが、あぁ、すぐでにも降りて訪ねてみたい衝動にかられる。訪ねてどうなるというものでもことでもないのだが。

 夕刻ということもあるのか、線路脇の道にたつ親子が、楽しげに列車を眺めている姿をみた。なんと言っているのだろう、母の口が動くのが見える。そして列車に、すなわちこちらに向かって笑顔で手を振っている。

 鉄道というものの本質がその向こうに見えるような気がしてならない。車が走る道路とは違うなにか、なのだ。その何かについて、また思いついたことを記していきたい。

道をめぐる雑想#1

お米をいただいている奥湯谷の農家から、昨秋収穫ぶん最後の一俵をいただいての帰路でした。おそらく江戸の昔から道幅の変わっていない上阿井の八幡神社の前の通りをすぎて、国道に入る少し手前。路傍に小さな石、といっても一抱えはあるやや丸みをおびたその表に文字が見えました。「右云々、左云々」とあり、車を停めて確かめようと思いながら、薄暮のなか小雨でもあり、ゆるめたアクセルを再び戻し、後ろ髪をするりと梳かしたつもりでした。
それからというもの、道というものが気にかかって仕方がありません。

あの、古い道しるべは、なぜ、あそこに残り続けているのだろう。道路工事にあえば、たちまちにどかせられ、文化財でも神仏でもないために、その石が残ることもないのでしょう。同じように、ひとびとの記憶というものも失せてしまうのでしょうが、ただ、ひとつ言えることがあります。私たちの時代にも道しるべはあって、その多くは国家あるいはその中央集権機構の出先機関としての各自治体の管理下にあり、規格統一化されたそれとして、あるのです。そして考えてみれば興味深いことに、それはすべて車のためにある標識なのです。

私がその日みた道しるべは、日本全国どこでも同じような形態をしていたのでしょうが、それらは幕府や各藩が管理して整えたものだとは考えにくいのです。彼らは領土を点でおさえることにその本義があるようで、関所、宿場、一里塚など、動かない点を動かぬように置くことがそれら機構が共有する思考空間の特質でしょう。少なくとも近世以降の権力機構はそうでしょうし、動きまわるものを自家に抱えていたそれ以前のマイナーな力とは性質を異にするものです。動くものは山のものです。山は動きませんが、山の線はつねに変化し続ける。中世山城が「山」に展開したのに対し、近世は平地に降りてくる、と同時に山を敵視し排除することで成立したものでもある以上、動かぬもの、均質フラットで不動のもの、すなわち点こそが重要であって、線はあくまで点の集合に過ぎないのです。

話は飛びますし、わかりにくいのですが、道しるべ、石に記されたそれは、点ではなく線なのです。分岐をあらわしているから。そして、道の上でもなく、だれかが所有管理する地面の上にあるのでもない、境界上に置かれている、ように見えるから。また、それを「よむ」のは旅の人間であり、「役人」ではあり得ない。なにより、迷い・不安に対する安堵あるいは信頼の気持ちが、その石にいまだ念としてこもっているようで、そこに心ひかれる私の気持ちがあるのです。

それは妄想だろうと。妄想が願望や不安をその生成動因とするのならば、そうしたものはあまり認められないようにも思うのです。ざっと二百年ばかり前の、旅の人間となりかわって、その石の前に立つ自分を仮想してみるための材料を史実その他から集めてみたいものです。

話をもとに戻します。その道しるべ、だれが置いたものでしょう?
これまでいくつか見たそれは寺社の近くにあるものでしたから、その関係ではないかと思います。

今回は、平凡社世界大百科事典の「道しるべ」の項に胡桃沢 勘司が述べたものをひいて、ひとまずしめます。

《日本における道しるべの起源は明確ではないが,現存する遺物の大半は近世,さらには近代以降に設けられたものである。石製のものが多いが,木製のものもある。石製の場合,道しるべとして造られたもののほかに,庚申(こうしん)塔,道祖神,石地蔵,石灯籠,常夜灯等,石神・石仏などの石造物にこれを兼ねさせたものも見られる。前者の設置には為政者が関与することがあるが,後者は民衆が自らの意志で設けたものがほとんどである。旅の安全を願う庶民の素朴な信仰心が,これら石造物のなかにこめられていると言ってよい》

令和2年7月11日山墾り備忘

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雨が続いたこともあり、しばらく山の畑へ出向けなかったのだが、合間をみて少しでもと夕刻に向かう。里芋は草に埋もれつつあるものもいて、この際、草刈。この草、なんという草なのかすきまなくびっしりと生えており、土もつくってくれそうなので、残す方向で。

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大豆は虫に少々食われているものの、まずまずの生育ぶり。もともとこの区画は痩せておるのか草も少なく丈も低い。トウモロコシはじめ穀物は育たんかったので、大豆ならと、少しだけ耕起しての挑戦。

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大豆のそばにはヒメホコリタケがぽつぽつと。

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ヘミツルアズキは柵のそばに。柵にまとわりついてくれればよいのですが。

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カボチャ(かちわり)は草に負けそうで負けてない。少々手助けはしないと実を太らせてはくれないので、草をどかした。

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アマランサスが草に埋もれていたのでえこひいきしてみた。種を蒔いたつもりはないので、靴について運ばれたのか、ほかのなにかにたまたま混ざっていたのか。今年は山ではつくれずに終わるのかと思っていたので、少しうれしい。

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タカキビ、初期成長がよくなかっのがようやくここまで。やや遅い。しかもこれ、間引くか何かしないと。次回にまわすことにして草刈りを少々。

山墾りからあれこれ備忘

◆白大豆を蒔きながら
 6月21日の山の畑、白大豆を蒔きながら、思い出す。
 昨年の山の菜園場でのこと。白大豆をまいたまわりには、トウモロコシやタカキビを蒔いたが、まったく成長しなかった。ナスもそうだった。もともと土壌がやわらかだったところに蒔いたタカキビが数本だけ、なんとか上出来の収穫だったほかは、まったくといっていいほどの出来だったのだ。
 大豆だけがよかった、その昨年の記憶が、こうして大豆を今年、まかせている。
 昨年は、最後の最後でタヌキかだれかに半分弱ほどを食われてしまった。今年はどうするか、まず畑地と藪との距離を広げておくことがひとつ。草も夏の終りには刈っておく。そして、収穫の前に一度外側なりで消炭でもつくって、焼けた匂いを漂わせておくか。草を焼いて燻された匂いを残すようにするのも、あるいはよいかもしれない。
 一方で、まったく駄目かもしれない、そんなことも思いつつ、だ。
 そう、これから夏本番を迎えるにあたって、こうした天然農場は、まさに土づくりのシーズン。いかに草に仕事をしてもらうか、考えておこう。
 外から持ち込むのは米ぬか、そして、今年は購入した油かすを少々。稲わらはないので、茅で代用か。
 それにしても、なぜ大豆なのか、だね。
※7/3追記…白大豆は半分ほどが発芽していた。10日で半分か。

◆6月12日の消炭づくり

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森のことの葉〜#7_Book 7 days

◆本の顔の7日間、その7。

ある夜、何を思うわけでもなく書棚から一冊の本を抜き、開いた頁から押し寄せてくる波に、ゆだねながらそれに乗るということができたなら、読むという愉悦とともに、どこまでもいつまでもその時間は延伸できる、ように、そのただなかには感じられる。その全き自由を支えているのも時間なら、ついていたはずの翼がないと気づかせるやいなや、全身を襲う倦怠を墜落の後悔とともに押付けるのも時間だ。

そして、次の3冊の中には時間が欠けている。欠けているがゆえに読むことの永遠性に開かれている。と同時に3冊はスタイルと顔をまったく異にしながら、ひとつの物語のように連続している。……この続きは、森と畑と牛と1号で、たぶんそして必ず。

 

◉ミッシェル・フーコー、神谷恵美子『臨床医学の誕生』みすず書房

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わたしが、そしてあなたが、考えない(考えられない)ことは何なのか? この問いを抱えて読む書。

「人間の思考のなかで重要なのは、彼らが考えたことよりも、むしろ彼らによって考えられなかったことのほうなのである」序文より

そして、右の英文は、パースのWhat Is A sign?
https://www.marxists.org/reference/subject/philosophy/works/us/peirce1.htm
この本に時間がない、欠けているという言いぐさは、おかしいだろうか。医学史の一冊として読まれているだろう書であろうし、書名からして、歴史=過去の時間の流れを追いながら、生じた出来事をある規則性、構造として可視化するもの、そういうものであろうから、時間が欠けているはずはなかろうと、そういう疑問が浮かぶほうが自然だ。その自然さに対して、こう言ってみよう。時間の本質とは流れと変化であり、そこからして、未来と同義であると。歴史が扱うのは過去でしかないし、過去のすべてがわかったとて、未来を知るのに十分ではない。そして変化こそが知ること、治める、統治することととは異相の世界を開くのである。


さて。
時間とは、ハイデガーの現れを支えるものではないかと、そう捉えることが、この本と顔と顔をつきあわせて対話することを可能にする。

  

エドゥアルド・コーン、奥野克巳、近藤宏『森は考える』亜紀書房

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 「この本の内容は空間、ことばおよび死に関するものである。さらに、まなざしに関するものである。」
先のフーコーの著書において序文冒頭に掲げられた一文は、そのまま、この本の序となりうる。

川の源を同じくするからなのか。
50年ばかりのときを隔てて、フーコーソシュールから、コーンはパースから、記号論の支えを得ている。

そうしたことも理解の支えになるが、なにより強調されるべきは、「まなざし」であろう。
まなざしを支えるのは、姿勢、位置でもあるが、意思でもある。その意思=心とは、個のものではない。individual、分割できない単位とは違い、心とは川の流れ全体に浮かぶ泡のようなものだ。

 

河井寛次郎『六十年前の今』日本民芸館

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のちほど。

 

◉ユクスキュル『生物から見た世界』岩波文庫

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のちほど。

 

 

すべての生き物はね、死んだらだれかに食べられるのよ〜#6_Book 7 days

◆本の顔の7日間、その6。

◉ジル・クレマン、山内朋樹『動いている庭』2015,みすず書房
これは焼畑の本である。
ピンとくる人は、どこにもいない、と思うけれど、言ってみる。
庭の本でないことは確かだが、著者は作庭家である。
また、すぐれた実務書でもある、と私は思う。
なんの役にたつ本なのか?と問われても困るけれど、なにかの役に立つ本なんて実は何の役にも立たないものだが、この本はなんの役に立つかわからないのに、いやだからこそきっと役に立つのだと、強く言ってみる。
あぁ、そうそう本題。庭を畑におきかえても通じる本。動いている畑、それが焼畑

下は同名の映画の画面ショット。みすずの本の方よりも顔としていいなと思う。中央、横切る人物がジル・クレマン。

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 https://www.msz.co.jp/book/detail/07859.html
みすず書房のサイトでは序文が読める。
これだけでも読んでみられることをおすすめしたい。

 

何年か前の火入の後、3日後くらいの様子。こんなにも菌が炭にくいついている。

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◉小川真『森とカビ・キノコー樹木の枯死と土壌の変化』2009,築地書館
これも焼畑の本である。
今年島根県で開催される予定だった植樹祭は1年延期となった。
なぜか。コロナのせい? いや、そうではない。そんなことを考えさせてくれる。
原因と結果を単純に結びつけたがるのは、機械を組み立てる発想だが、生物・生命は違う。
パーツを組み立てれば機械は動く。生物はそうはならない。つねに部分ではなく全体が先にあるからだ。
そこから、病気とはなんなのか、その本質性を垣間見ることができる稀有な書。

不思議なほどに島根県の話がたくさん出てくる。

 

◉大園享司『生き物はどのように土にかえるのかー動植物の死骸をめぐる分解の生物学』2018,ペレ出版

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これだって焼畑の本である。


「ねえねえ、死んだらどうなるの?」
「すべての生き物はね、死んだらだれかに食べられるのよ」
生と死が交錯する、食べたり食べられたりする場に、自らも同調すること、それこそが、森の本質であると思う。
焼畑は森とともにある。

 

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本は物であり、物には心がある〜#5_Book 7 days

◆本の顔の7日間、その5。
◉バッジュ・シャーム、ギター・ヴォルフ『世界のはじまり』2015,タムラ堂

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木綿、麻のクズ布を砕いて漉いた紙。都度調合される色。中部インド、ゴンドの吟遊詩人であり画家であるバッジュ・シャームの神話世界。
さわる本。本が物であることを忘れないために。

 


Creation 『世界のはじまり』メイキング映像


◉田中忠三郎『物には心がある。』2009,アミューズエデュテイメント

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 本が物であるとき、本には心が宿る。
 そして、この本は、いまの書店・流通を拒否しているかのようだ。わたしは、ドンジャをさわることができた浅草の博物館で贖った。だれもがどこでも買える本など本ではない、のかもしれない。心は買うものでないのと同じく。

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