積もっていた雪もあらかたとけ、去年より半月ほど遅れての本格始動です。とはいえ、2時間半ほど。積んである竹の嵩をとらえ違える箇所もあるので、頭と身体にたたきこんでいくくらいまでやらないと、火は入れられんですね。早く入れてしまいたい気持ちをなだ…
ひっそり今年も始動します。活動ページを設けました。 冬の準備がものをいうのです。冬の間に、春焼き予定地の竹を半分くらいまでは焼いておきたいということもあります。 雪がたっぷり積もっていれば、延焼(つまるところの山火事)対策を大幅に減じること…
雪の下から芋を掘る。 一般的には遅いのだろう。サツマイモはもちろん里芋だってもとは南国の芋なのだから、零下の気温ではたちまちにだめになる。が、しかし、だ。菊芋は雪の下のをとってくるものだと不確かながら聞いたことがある。そういう芋なのだと。 …
木次に引越してきて何回目かの年越しと、クリスマスがやってくる。今年も持越しの宿題を棚にあげつつ、手がかりくらいはつかんでおきたいと思う。つかみたいのは、かれこれ75年前のこと、昭和26年の木次のクリスマス、そして年取りとカブについてである。 昭…
人間が放置した土地。いま、そこやあそこ、かしこで、当然という顔をして普通にみられる大地の断片。小さな裂目のような場所から自然による「奪還」がはじまる。 はじまりの場所は「荒廃地」と呼ばれ、人をますます寄せ付けず、荒廃の勢いはます。 さて、そ…
冷蔵庫の片隅に冷凍したままのホウコが眠っている。たしか2年前のものだと思う。搗く機会を頭のなかであれこれと浮かべながら、いくつかの記録を整理しておきたい。 思いつくままの箇条書きをまず。1. 阿井の山野で食べたものの中でのホウコ2. ホウコの方言…
熊子(くまご)と、出雲地方で呼ばれてきたアワのことについて、いまだ調べること多いものの、まとめていこうと思う。記録の散逸、記憶の錯誤をおそれる。できるところから少しずつ書き足していく方式をとろうと思う。 あわせて、聞き取りを再開したい。その…
「今日は山へは行かれますか」「いやあ行けません。倒れますわ」と、言ってはみるものの、じつは行っている。山というと、眺めのよい景色のある登山でのぼるような山をみなさん、イメージされるようだ。が、山もいろいろ。標高250〜400mくらいのところでも…
昨日、映画「コリーニ事件」を観た。しかも出雲で。これは劇場貸切かと思ったが、妻とあわせて3人の観客だった。T.ジョイ出雲で9/10まで。行ける人はぜひと思う。理由と見方などいくつか。 ◆予告編など一切目にいれずにふらりといくのがいい。この映画の最大…
◆数日前に、奥出雲のいくつかの「山」をみてまわりました。参加者の多くは自分で自分の山を手入れしているきこりさんたちだったのですが、みなさんの心を強くひきつけていたたのは、見ても入っても心地のよい、美しい森ではなく、見捨てられ荒れ果てて見える…
それは先週、8月8日のことでした。立ち寄った隣町奥出雲町のスーパーで、目的の品をかごに入れ、そそくさとレジに向かう途中、どどんとばかりに「わに」肉が陳列されているのを見つけてしまったのです。刺身用の新鮮なものです。「わに」ことサメの刺身は、…
カフェ・オリゼの裏にある「オリゼ畑」で育てているスペルト小麦。夏野菜のマリネとしてランチにお出ししています。玄麦。スペルト小麦は、古来つくりつづけている地域では粒で食することが多いという論説をみたことがあります。そうでなくても、粒でとれる…
梅雨のあいまにひとしごと。◉夏に花を咲かせる樹々をたしかめる〜7月22日 あれ、こんなところにもと。夏に花を咲かせる木が、山墾りをしている岩内地の谷にはたくさんみられます。現在、頭のなかに入れ込むだけですが、子供向けの体験が本格化したら、マッピ…
おそらく鬼野老だと思う。一昨日やっと見つけた。探しているときには見つからず、忘れた頃に、こんなところにあったのかと驚くのはいつものこと。そして、7月下旬の今頃が目立つということでもあろう。花をつけるのもこれからだ。トコロを食べる会として、蔓…
飲んで終電で帰るなんて何年ぶりだろう。しかもこれが人生最後、かもしれないなと思い記念に撮影。 あと30分ばかりは残っていたビアガーデンの宴席を辞し、急ぎ足で橋を渡り、歩道を横切って無人の駅の改札を抜ける。ちょうど一両編成のディーゼル車がホーム…
お米をいただいている奥湯谷の農家から、昨秋収穫ぶん最後の一俵をいただいての帰路でした。おそらく江戸の昔から道幅の変わっていない上阿井の八幡神社の前の通りをすぎて、国道に入る少し手前。路傍に小さな石、といっても一抱えはあるやや丸みをおびたそ…
雨が続いたこともあり、しばらく山の畑へ出向けなかったのだが、合間をみて少しでもと夕刻に向かう。里芋は草に埋もれつつあるものもいて、この際、草刈。この草、なんという草なのかすきまなくびっしりと生えており、土もつくってくれそうなので、残す方向…
◆白大豆を蒔きながら 6月21日の山の畑、白大豆を蒔きながら、思い出す。 昨年の山の菜園場でのこと。白大豆をまいたまわりには、トウモロコシやタカキビを蒔いたが、まったく成長しなかった。ナスもそうだった。もともと土壌がやわらかだったところに蒔いた…
◆本の顔の7日間、その7。 ある夜、何を思うわけでもなく書棚から一冊の本を抜き、開いた頁から押し寄せてくる波に、ゆだねながらそれに乗るということができたなら、読むという愉悦とともに、どこまでもいつまでもその時間は延伸できる、ように、そのただ…
◆本の顔の7日間、その6。 ◉ジル・クレマン、山内朋樹『動いている庭』2015,みすず書房これは焼畑の本である。ピンとくる人は、どこにもいない、と思うけれど、言ってみる。庭の本でないことは確かだが、著者は作庭家である。また、すぐれた実務書でもある…
◆本の顔の7日間、その5。◉バッジュ・シャーム、ギター・ヴォルフ『世界のはじまり』2015,タムラ堂 木綿、麻のクズ布を砕いて漉いた紙。都度調合される色。中部インド、ゴンドの吟遊詩人であり画家であるバッジュ・シャームの神話世界。さわる本。本が物で…
【雨の日の地図旅行、その備忘】 五年ごし?の宿題を少々。 ◉茸師 三平大分県津久見市長泉寺境内にある椎茸碑の中に、次の一文がある。「往昔、天保の頃、津久見の先覚者彦之内区三平、西之内区徳蔵、嘉吉、平九郎、久吉等の椎茸栽培業研修に端を発し、三平…
本の顔の7日間、その4。◉茸作 豊後國市平墓 匹見の紙祖にある茸作・豊後國市平の墓。市平(三平)は、天保11年に豊後國から石見國の疋見組にやってきます。嘉永5年まで椎茸の栽培を行います。どこの山かはわかりません、ひとりだったのか、何人かで手掛け…
本の顔の7日間、その3。◉種村季弘『雨の日はソファで散歩』筑摩書房,2005 「書かれたものは、いわば音符に過ぎない」中井久夫)この本は、推理小説にも似た、謎解きを誘うようなところがあって、そんな奏で方(読み方)があったのかという訪れを、静かに待…
本の顔の7日間、その2。 ◉中井久夫『「つながり」の精神病理』ちくま学芸文庫,2011 いま、自分の手元にある本の中から、一冊だけを過去の自分に贈れるのだとしたら。これを二十歳くらいの自分へ届けてやりたい。その理由について……。1●日本語の文章として…
◉大河原宏二著『家族のように暮らしたい』2002年太田出版刊 絶版にはなっていますが、古書はそこそこ流通しているようです。著者がなくなったのは、2010年12月31日。読まれ続け、残っていてほしいと願う本。疲れすぎた夜も、なんだかイライラするときも、や…
山へ通う道の途中、ヤマブキの花がこぼれ落ちるように咲き乱れているカーブがある。見とれすぎないように気をつけているのだが、あぁ、車をとめてみてみようと、何度も思いつつ、いつも通り過ぎてしまう、今日も。 さて、今朝方は少しばかりの雨模様。予報で…
竹を積み、焼き、消炭をつくる。竹は3年前の火入れのときからの燃え残りがほんの少々。竹は少々では燃えない。強く乾燥した状態であればよいのだが、そうした時分には延焼が心配だ。よって、いまの時分に、大量に集めて燃やし、消炭を得るのがよいのである。…
蒜山・鳩が原の山焼きに行ってきた。風が強く22日に延期となったのだが、火入地を見て回り、話もきけて、貴重な機会となった。ここに備忘として記しおく。 †. カシワの樹は燃え残る カシワの群落をはじめてみた。おもしろい。樹皮が火に強いからだとおっしゃ…
3月7日の記録。・キクイモほり……看板をたてたほうがいいかもしれない。・火入れ越冬地のスペルと小麦確認……だめかあ。食われてる。食い散らかし程度だが何回もきてかじっているようだ。糞、足跡などの痕跡は確認できず。イノシシではない。タヌキだろうか。…