樟の森の研究室

斐伊川が久野川や三刀屋川と合流する地点、木次線がことことと走る線路のすぐそばに住まいし、ここで生きる術と学びを記していきます。

食べること

味噌樽をあけた日

ちょうど1年前に妻が仕込んだ味噌が開けられた。手伝ってくれた東京の大学生に送りたいのだが、はてアドレスはどこへ行ったっけ? ファイルの場所は覚えているので、奥にもぐれば出てくるだろう。 そして反省。今年はお世話になっているここぺりさんの赤名…

エノコログサを食す慣行

味の素食の文化センターのライブラリーでたまたま見つけた書(郷土食慣行調査報告書1976)の中に、昭和18年に広島・山口を取材したものがあった。調査地は以下の通り。 廣島縣山縣郡戸河内町、高田郡吉田町、蘆品郡廣谷村、神石郡油木町、 山口縣大島郡小松…

大正7年8月20日(1918)ー松江の米騒動

阿井村には大正はじめに種子ものの通販が入り、白菜・ほうれん草・かんらん栽培が広まったという記録があることを以前記した。同じく阿井村で、トロヘイ(ホトホト)が風紀紊乱を理由に禁止されたという記録があるのも(要確認)この頃である。以来、出雲地…

甘味の変遷―備忘録001〜砂糖はどのように普及したのか

石見のほうから奥出雲に引っ越してきて、煮しめを筆頭にありとあらゆるものが甘いのに驚いた。砂糖の使い方が半端ないのである。いつからどのようにこうなってきたのかを知りたく思って3年あまりが経過した。「いつごろから」の端的なこたえは「戦後から」…