樟の森の研究室

斐伊川が久野川や三刀屋川と合流する地点、木次線がことことと走る線路のすぐそばに住まいし、ここで生きる術と学びを記していきます。

ホトホトと鳥追い

 島根県雲南市木次でのとんどさんは、あらたか先週末の7日8日に行われ、元来の小正月である十五日に執り行うところはごくわずかだ。先週行ってきた頓原のトロヘイも、もともとは十五日の前夜にやるものであったのを、諸事情、すなわち人間の都合で土日にずらして行っている。神事であるよりはイベントなのだから、それはそれで致し方ないことである。60年か70年ばかり前の時代に柳田國男が嘆いたように、それがもともとなんであったのかを覚えているものもいなくなるという事態が現実になってどれほどがたつのだろう。そうした帰結がどうなるのか。嘆きがあった頃は、まだ取り戻せたものも今はもはやかなわない。  だがしかしそれでも、追ってみたいものはある。僅かな残り香のようなものを頼りに。無能の多忙なるに流されながら、せめてメモのような箇条書きを今日は記しておく。  柳田国男の「小さきものたちへ」に所収されている「神に依りてきたる」。そこには、トロヘイ、ホトホト、トベトベ、と、地方地方でさまざまに呼ばれ、豊富なヴァリアントをもつ小正月の行事が羅列されている。そのもっとも深い本質は何か。柳田が標題にしたように、それは
《われわれは久しい間、少なくとも年に一度ずつ、神に扮して出る役目を持っていました。》
ということとして、整理してみるのがよい。  およその概略は伯耆・出雲の「ホトホト」が公約的なものであったのか、こう延べられている。
伯耆・出雲辺ではホトホトとよんでいました。正月十四日の夜、村内の若者が藁で作った馬・牛の綱、あるいは銭緡の類を以て人家の戸口に立ち、小さな作り声をしてホトホト、ホトホトというのです。そうすると家では盆に餅や銭を載せて、出て来てこれをくれるのですが、同時に作り声のだれであるかを見現そうとし、一方はあてられないようにするのをてがらとします。通例は、そっと水を汲んで来て不意に打ち掛け、びっくりする地声を聞こうとしました。》
 これが東北・東日本では「鳥追い」として伝わっているものが多い。その意味付けはホトホトとは異なるが、家々を尋ね、餅や銭をもらうという点は同質であり、何より「子ども=神の代理」であることは変わらない。    ここに「とんど行事」と子供組、あるいは若者組の仮設小屋がどう関係してきたのかが、この小正月の神事の変遷を夢想してみる鍵となるだろう。  産屋が新たな生命を得る場として、日常世界から切り離された場に設けられたように、とんどの前に藁でかけられる小屋は、あらたな歳=たまを得るための忌み籠もる場であったのだと思われるし、それを仮説として、より奥へとわけいってみたい。  ……つづく。