樟の森の研究室

斐伊川が久野川や三刀屋川と合流する地点、木次線がことことと走る線路のすぐそばに住まいし、ここで生きる術と学びを記していきます。

自然農=混作はきたなく見えるのか

「草だか野菜だかわからんし、きたない。どれだけとれるかもわかったもんじゃない」

 自然農へ向けられた苦言である。ただ誤解なきよう、これ直接面と向かって言われてるんだが、全然いやな気にならんのです。なぜだろう。発言者が農業を正面きってやってる人だからだろうと思う。こうして言語だけで記すとひどい発言に感じてしまうんのだけれど。

 さて、ひとつ前の投稿で「混作」へチャレンジするのだと書いたのだが、今日たまたま開いた、飯沼二郎,1980『日本の古代農業革命』にも同様の”混作きたない”をみて、なぜだろう、なんだろうと不思議な思いにとらわれたので、備忘として記す。すなわち飯沼はこう言う。

《このことは、東南アジアの農業の性質を考えるうえに重要である。東南アジアの農業、とくに畑作の一次的性格としてのミックス・ファーミングともいうべき間作、混作をまぜあわせたような形態(中尾氏も上述のように根菜農耕文化の一特徴としてあげている)が潜在的に存在していた。それはこんにちの焼畑のなかにのみ残存するのではなく、平地の畑にも残っている。……(略)……タイのサンパトンやビルマのインレー湖周辺の農村では、畑にいろいろの作物が雑然とつくられているようで、みためにはきたないが、その技術には伝来の習熟性がかんじられる。》

 対して、混作を「美しい」とは言わないが、ある感動をもって書き残しているのが六車由実である。2004『東北学』Vol.10中にある。

《たとえば、昨年の秋に、ラオス北部、ルアンパバンの周辺で目の当たりにした焼畑の光景は、私たちの想像をはるかに超えて豊かで感動的だった。ここでは平地には雄大な水田が広がっているが、そのすぐ先にある山では焼畑が拓かれ、陸稲だけでも10種類近くの稲が育てられ、隙間にはハトムギ、バナナ、ウリ、キャッサバ、トウモロコシ、ゴマ、オクラ、サトイモなどさまざまな作物が混植されている》

 うむ。その東南アジアの混作をまだ目にしたことがなく、これ以上の言を控え、加筆できるだけの材料をそろえていきたい。