樟の森の研究室

斐伊川が久野川や三刀屋川と合流する地点、木次線がことことと走る線路のすぐそばに住まいし、ここで生きる術と学びを記していきます。

雑穀の餅のつき方

 農文協から刊行されている『聞き書き山口の食事』を購入した。これで中国地方五県ぶんが手元にそろったことになる。全国47都道府県のシリーズ「日本の食生活全集」の中の5冊ぶんである。残り42冊、全巻そろえてみたい誘惑にかられる。と同時に、日本は広いなあと改めて思う。中国五県、すなわち、広島、岡山、山口、鳥取、そして私が住んでいる島根も含めて、ずいぶん広く大きなエリアだとふだんは感じているが、日本のなかでは小さな一地方に過ぎないのだ。索引等の別巻も含めて全50巻というその大きさをにわかには捉えがたい気にもなる。ただ物理空間的に占めるものはそれほどでもない。図書館でそろえているところも多いので、一冊一冊はいつでも読もう思えば読める。ただ、私が全巻そろえたいと欲するのは、他の文献を参照しながら、ときには料理をつくったりしてみながら、何度も繰り返し読むものだから、手元においておきたいという事情による。一方でそれは、このシリーズの不完全さ、というよりは、食文化を書にまとめるというときにつきまとってしまう欠落に由来するもののためである。

 なにはともあれ、まずは中国五県分について、そらんじれるほどには読み込んでいくつもり。

 さて、本題。

 「日本の食生活全集」において、餅は必ずどの地域にも出てくるのだが、山間部において、餅をつく量が尋常ではないのだ。「冬の間はきらさないようにする」だとか……。ここで言及されちる餅とは、我々、平成の時代に暮らすものが想定する餅とは異なるものが入っているのだろうが、明確に言及している地域は、これまで読んだものの中にはなかった。

 山口県山代地方(錦町府谷)の聞き書きでは、他(の中国地方)では記録されていない、その、餅の異同について、記されている。しかも、つきかたまで書かれているので、これを参考に、我が家の年取りの餅をついてみようと、身を乗り出したほどである。

 少々長いが、そのまま引用する。

《田が少ないので、もち米は二、三畝くらいしかつくれない。もち米は祝いのごとのためにのけておく(しまっておく)。ふだん食べもちはほとんど畑もち(雑穀もち)である。

 白もちは、正月の鏡もちと雑煮用の丸もち少々と春のお彼岸に少し、秋祭りに二、三升搗くだけである。

 畑もちは、あわ、きび、たかきびが主で、もち米に余裕のある家は一割くらいのもち米を入れ、正月前に白もちを搗くときに一緒に搗いて、水もちにして保存する。》

 そして、畑もちの雑穀であるあわ、きび、たかきびについて、「寒もちを搗く」のが調理のほとんどであり、とがんにまぜて炊くことは「麦の備えがないとき以外、ほとんどない」としている。まことに興味深い。そして、餅としてつく際にこうして仕込むだという。

《たかきびは、五日から一週間水にかして、大ぞうけに上げて水を切り、だいがらで搗いて粉にする。たかきび粉を水でこね、湯気の通りをよくするために大きなだんごにして蒸す。よくうみたら(蒸し上がったら)、もう一度だいがらで搗いてもちにする》

 ここで、もう少し掘り下げてみたいことがある。ホウコ餅のこと。

 中国地方の他の山間地域の餅では、ホウコ餅がとりあげられてる。ホウコは山ぼうこにしろ田ぼうこにしろ、もちのつなぎとしての役割が大であった(と思われる)。しかるに、ここ山代において雑穀の餅は果たしてつなぎなしでいけたのかどうか。ホウコ以外でつなぎとなる草木があり、それを使っていたのかもしれないし。

 この件については記事を改めて。