樟の森の研究室

斐伊川が久野川や三刀屋川と合流する地点、木次線がことことと走る線路のすぐそばに住まいし、ここで生きる術と学びを記していきます。

一月五日、死んだらどうなるの?#1

(書きかけメモとして)


死んだらどうなるの?

子どもの質問っぽい。大人が言ってもいい。言わないだけで言いたくなるときもあるだろう。が、大人はめったに言わない。

問いは素朴にみえて暴力的。それでいて根源的な問いでもある。そうした問いには模範解答が存在しない。なぜか。

この問いの暴力性の「死」についてたずねているところにあるのではない。この問いのカタチ、文体(のようなもの)は、単純明快なこたえを要求している。


哲学でも、宗教でも、医学でも生物学でも法学でもない。そんな枠の中からかえしたのでは、問いそのものが苛立ちを募らせるだけだろう。

求められているのは、真剣に本気で、そして自らの責任をもってこたえるということだ。

魂の永続性について

問をさまざまな仕方で換言してみよう。
ひとつめ。
死んだら「私」はどうなるの?

私を私たらしめているもの、これを自我と呼ぶにせよそうでないせよ、the self =自己同一性は、民族・文化を超えて共通してあるのだと、そこまではいえるのかな。

ウィキよりパーソナルアイデンティの項、J.ロックへの参照箇所を引用する。

According to Locke, personal identity (the self) "depends on consciousness, not on substance" nor on the soul. We are the same person to the extent that we are conscious of the past and future thoughts and actions in the same way as we are conscious of present thoughts and actions. If consciousness is this "thought" which "goes along with the substance [...] which makes the same person", then personal identity is only founded on the repeated act of consciousness: "This may show us wherein personal identity consists: not in the identity of substance, but [...] in the identity of consciousness". For example, one may claim to be a reincarnation of Plato, therefore having the same soul substance. However, one would be the same person as Plato only if one had the same consciousness of Plato's thoughts and actions that he himself did. Therefore, self-identity is not based on the soul. One soul may have various personalities.

意識(conciousness)の特権化とでもいうものがここにはある。魂の意味もたとえば日本での一般通念とは異なる。

つづく…