樟の森の研究室

斐伊川が久野川や三刀屋川と合流する地点、木次線がことことと走る線路のすぐそばに住まいし、ここで生きる術と学びを記していきます。

茸作 豊後國市平墓〜#4_Book 7 days

本の顔の7日間、その4。
◉茸作 豊後國市平墓

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もとは、匹見の廣見河内にあった墓石です。市平(三平)は、天保11年から嘉永5年まで匹見で椎茸をつくり、ある雪の日に亡くなった僅かな伝承と盆踊りの歌詞に残るほかには、この墓石が残るのみ。
私にとっては、本のカヴァーのひとつということで。本そのものはすべて、すでに死んでいるのであって、表紙は墓石のようなものです。
ただ、こう書くと、なんだか奇を衒っているようで、そんなつもりはさらさらなく、言い訳がましくも、二冊のカバーと一枚の写真を添えて。


◉大庭良美著『石見日原村聞書』

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明治九年に大分の豊後に生まれ、ナバつくりを覚えて、18歳のときには「柿木の椛谷のしもの地蔵さんのおんなはるえき(大きな谷からわかれた支谷)」にいた老人の聞き書きがあります。
「ナバつくりは十一月三日の天長節のうらひら(前後)に水を見る」のだというところからはじまる一連の流れを、何度読み直したことか。「水を」「見る」のです。この見るは「占う」に近いのですが、私たちが考えている占いとはかなり異なるものです、たぶん。


◉昭和三十年代のとある写真

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先の聞書で、老人が大庭氏へ語って聞かせたのは昭和39年。昭和30年代の一葉として。妻の実家の前なのですが、石見日原村聞書に現れる方言を、妻に問いながら読めることは、この写真ともあわせて、時間の扉を開ける手助けをしてくれます。
「いかいナバ」
「ボヤボヤすればすわく」
言葉とは意味内容だけではわからない、そして翻訳不能なものを含んでこそ。


テッド・チャン『息吹』

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墓石からはじまってベストセラーで締めるのはいかがなものかとも思いますが、カバーといえばこれを。
コロナの件で観に行けなくなった映画「つつんで、ひらいて」を観に行くぞという意とともに。(どこで?いつ?)

www.magichour.co.jp


装丁家・水戸部功のカバーです。
さて、巻頭におさめられたテッド・チャンの「商人と錬金術師の門」は、これまで紹介してきた前の3冊、そしてこの後の3冊をつなぐものでもあるのです。
「過去と未来はおなじものであり,わたしたちにはどちらも変えられず,ただ,もっとよく知ることができるだけ」

 

◉茸作 豊後國市平墓補遺

†1. 田代信行さんに調べていただき、実在を確認のうえ、写真まで送ってもらいながら、まだ参れていないのですが、今年の夏までに。

†2. 2018年11月9日のメモより
青木繁,1966『豊後の茸師』(富民協会出版部)…匹見に茸づくりを伝えた三平について、この文献を参照とした資料をいくつか見てきた。国会図書館にもなく、大学図書館で蔵するところも少ないのだが、なぜか島根大学附属図書館にはある。2年越しの宿題をかなえるべく、のはずだが、やや拍子抜け。そこまで詳細なものではなかった。とはいえ、生年や経歴などがはっきり記されているのは、ほかに参照している資料があるのだろう、、ということは伺える。
・茸師三平
・享和3年(1803)、現在の大分県津久見市彦之内に生まれる。天保5年から同10年まで深場官山の藩営事業場でシイタケ栽培の講習を受け、同11年から嘉永5年まで、現在の島根県津和野町匹見に居住しシイタケづくりに励んだ。

†3. 天保8年の広見河内
 角川の地名辞典からの